2016年10 月のアーカイブ

権力か使命か

2016.10.17

 

入社式の日のその日から社長になるためだけ目的に生きる人は、新聞社や球団の例の人のような輩は、企業だけでなく、役所にも、学校にも存在するものです。我が国で「立身出世主義」と呼ばれる生き方は、日本だけでなく世界共通に存在してきたのです。イギリスの教育家ニイルがその著「問題の教師」で、教師にもその問題を指摘しています。今、何人かの人が指摘する通り、ヒットラーやムッソリーニの時代を想起させる状況が現出しています。最近、身近にも、そんな意識が見えてきて、危惧しています。

繋がり

2016.10.11

 

繋がりを「損得」を基準に、その関係が捉えられて、語られていることが多すぎ、悔しくてなりません。

これこそ、つぶやきと言えます。

先日、資格を生かして、放課後の学童保育施設の主任児童員になっているという話を聞いたばかりで、その時、主任児童委員になっているということを、その方が同じように比較的若い世代の人だったので、混乱して、主任児童員と聞いてしまったのではと、話の経緯からも推察し,後悔しました。

教員として在職中はもちろんのこと、退職後も、お世話になった「主任児童委員」でした。主任児童委員は、家庭と児童相談所・学校・警察・地域などとを繋ぐ大変な役割を担っています。サポートチームの中心的な存在なのです。

児童虐待、家庭内暴力、いじめは蔓延しています。家庭と学校と地域とが一体となって解決したいものです。そういう意味では、彼女のような若い世代が担って当然かなと思います。

奇跡的な生還という医師の言う通りの身体の自分と、またまた思い知らされもしました。

 GIVE UP

2016.10.10

 

昨日、病み上がりながら、折角のご招待だからと、失くすのではのではという強迫観念に捉われてか、補水液のペットボトルと寸志袋を後生大事に携えての、同窓会の出席に続いて、今日は、受験票と宅建主任者証に、補水液のペットボトルを携えて、TACの司法書士講座の奨学生試験を受けました。

3時間余りも椅子に座るうえに、そのうち2時間の頭脳を集中させることには、堪えられませんでした。集中力が途切れ、問題文が読めません。

70歳まで待ったことが悔やまれてなりません。妻の言う通りだ、もう自分には無理だ、と実感しました。一方では、ここまではやれるという自信が生まれはしたのです。

レガシー(遺産)には、借金など負の遺産の意味も含まれています。小池都知事からこの言葉を聞いたとき、素直に聞けなくて、もはや、オリンピック・パラリンピックの開催そのものが負の遺産を大きく抱えることだけになるのでは、という思いが走りました。若い働き手のいない高齢社会での開催の意味、それこそ、そのレガシーは何なのでしょう。その後、使われもしない廃墟と莫大な借金が遺すことかと思います。リニア新幹線も本当に必要な交通システムなのか疑ってしまいます。

今、ますます求められているものは、立派な交通網でも、豪華な体育施設でもなく、人間が互いに支え合う本来の社会システムの構築こそで、次代への正のレガシーは心と社会のあたたかいシステムなのではないかと思います。

みんなの支え合う力で築かれる、みんなが幸せになれる、心温かい社会の実現こそをレガシーとすべきです。

数年、危惧して書き記してきたことがその通りに、戦前の様相にそのままになっていっていると思う方は多いと思います。今、なんとしても止めなければなりません。

昭和の繁栄期、「もはや、戦後ではない。」という言葉に対して、それでは戦前だというのかという議論がなされましたが、今、世界中に、自国の利益の優先主義、排他主義、差別主義、強権主義が、一度選ばれた者はその支持を力に、何をも許されるという論理がはびこっています。中には、ヒットラーを引き合いに出して平気な大統領もいます。

民主主義は、本来,めんどくさいものです。多数派主義ではないのです。少数派の意見を聞けないことは、民主主義とはいえません。日本も世界の風潮の例外と言えないと思いませんか。