2011年6 月のアーカイブ

母は

死の直前まで

教え子を戦争の犠牲にしたことを

悔やんでいました。

 

幼いわたくしが

友人と争うと

花壇の手入れをしながら

ガンジーの無抵抗運動の話をしてくれました。

 

動物園で象の背中に乗る話をすると

ガンジーの弟子のネール首相から贈られた象に乗るんだと

病室で

一緒に喜んでくれました。

 

唯一の原爆の被害国であること

忘れてはならないことと改めて思います。

笑顔がいっぱい

2011.06.16

 

月にほんの数回

子どもたちとふれあう機会があります。

 

子どもたちは

ひさしぶりということもあって

わたくしの大きなおなかをなでながらあいさつをしてくれます。

はじめての子もいて大変です。

 

赤ちゃんがいる

おばけがいる

かまきりがいる

などといって触ってきます。

 

その様子を見ていた

その日はじめて出会った

男の子が

 

「おなかの中には

笑顔がいっぱいつまっている」と言って

そっと触っていきました。

自らの手で

2011.06.07

 

今西錦司先生は

人類は人類自らの手によって

種を滅亡させるといっています。

 

その教えを実感させます。

揚げ足とり

2011.06.07

 

自己の主張の正当性を訴えることではなく

相手の失態を攻撃することだけで終始する

揚げ足とりだけが

民主主義が生かされるべき政治の場

で行われています。

 

損得・利権だけが横行する

理念なき社会の悲劇です。

菅降ろしの背景

2011.06.03

 

菅政権の対応の悪さに

問題を矮小化

(中日新聞朝刊6月3日)

なんていう文言が踊っています。

 

菅を降ろしても

菅降ろしの正体も同時に見定めないと

本当の解決には進まないんだなあということです。

 

原発問題は

イデオロギーの闘いも

大いに含んでいて

奥も深く

また巨大な問題だ

ということを教えています。

むら社会

2011.06.02

 

やっぱり

むら社会的終結です。

菅降ろしも

 

政党もむら社会

永田町も永田むら

市町村もむら社会

学校も企業もむら社会

外国人から見れば奇異なことですが

これが日本です。

(似たことは外国でもあるのですがね。)

 

しかし、そのむら社会も昔のようではありません。

むら八分からではなく

むら社会から外れた人々のほうが圧倒的なのです。

 

むら社会であるその部分社会では通用しても

全体社会ではむら社会の掟は働きません。

国家の機能の低下には著しいものがあります。

適法な手続きで物事を進めることをいいます。

わたくしは

この名がそのまま使われているテキストを

司法書士試験に市販されているもの中で

これが一番よいと

長年頼りにしています。

勉強の王道を示していると自負するものでしょうか。

 

わたくしがこの話をしたら

商売では通用しないよといわれました。

 

DUE PROCESS OF LAW

それを当たり前として生きようとあらためて思います。

権力争い

2011.06.02

 

権力闘争というのは

そのための争いであって

理念や信念の争いではありません。

国家の争いでも、村や学校、会社のものでも共通します。

ふつうの人はいやになるほど体験してきたことです。

 

世の中には頼みもしないのに

自らリーダーを名乗り

私利私欲を貪るひとがいるものです。

それを小田実さんは

「えらいさん」と呼びました。

 

菅降ろしの決戦の場に思い出す言葉です。

さて、降ろしたあとはどうなるというのでしょう。