2011年5 月のアーカイブ

話を聞く

2011.05.26

 

調停離婚が成立したと報告がありました。

わたくしは

常套文句の

「それはよかった。おめでとう。」と即座に応えていました。

彼女の明るい本当に前向きな言葉が続きます。

 

一年も前のことです。

遠隔地からの離婚相談でした。

弁護士に相談することをすすめたところ

 

弁護士に相談に行ったことがあるが

「あなたの苦しみは法律的には蚊に刺されたぐらいの痛みだ」と言われたとのことで

弁護士に対する不信感に陥っているという返事です。

 

わたくしは

夫婦生活の歴史をまとめる課題を与えました。

一週間も経たぬうちにA430枚にものぼる物語が添付フアイルで届きました。

 

彼女は

それから納得のいく弁護士さんに出会い

弁護士さんと相談しながら今回の調停離婚にこぎつけたのでした。

 

その弁護士さんのどこが良かったかと聞いたところ

どんな話でもよく聞いてくれたこと

ということでした。

 

すぐ血が昇りやすいわたくしには耳の痛い話です。

サツキ

2011.05.14

 

母はサツキというとおり5月生まれ

しかも5月に亡くなりました。

ちょうどわたくしひとりが病院は見舞に行った日のことでした。

 

小学校1年生のわたくしが喪主となり

母をおくりました。

 

それが珍しいことであったようで

そのことを覚えていただいている人が

たくさん今もおみえです。

 

母の生家は今も秋田にあるそうですが

母の鵜沼という

その姓は

岐阜県の鵜沼に由来するとのことです。

ゆかりの地が身近にあるものです。

それなりに機能していた支え合うしくみが

崩れたからなのでしょうか。

 

暴力

人間の根源に

それがあるとしても。

 

他を攻撃することによって

自分を正当化し

傷つけあうことが多くなりすぎました。

 

暴力は

人間性の一番の敵です。

ルーツを探る

2011.05.13

 

生母が東北の出身で

震災のこともあって

母のふるさとが気になりました。

 

母の生家が資料館になっていると聞いたことを思い出して

インターネットで検索していました。

聞いていた通りにありました。

 

姉たちはのぼりまで用意して歓迎を受けたそうですが

わたくしは

わたくしらしく

こっそりと尋ねようと思います。

そんなことを思うのは

年をとった証拠です。

天皇陛下に最敬礼

2011.05.12

 

わたくしの高学年のときの

小学校は鉄道沿いにあって

行幸のときには並んでお迎えすることが何度もありました。

 

「天皇陛下に最敬礼。」という号令のもと

全員が最敬礼するのです。

 

なぜかわたくしが号令をかけることがありました。

わたくしは号令をかけるのが精一杯で

敬礼をしないうちに御用列車が通過してしまいました。

 

そこで見たものは

まっすぐお立ちになられ

お応えになっている両陛下のお姿でした。

 

わたくしは

猫背なうえに

「あっ、そう。」というのが口癖で

天皇陛下といわれることがありました。

 

本物の

天皇陛下が

誠実そのものにお応えになっているお姿に

衝撃を受けたのでした。

 

今上天皇の被災地訪問の報道に接する度に

両陛下のお姿と重ねる

忘れられない思い出です。

 

それから

すぐに

岩波新書で

丸山真男らと出会い

天皇制を制度としても

考えるようになりました。

 

しかし

あのときから

直立して

国民にお応えになられている両陛下は

畏敬の念とともに思い出す

思い出となっています。

過去は消せない

2011.05.11

 

医師のK先生のお誘いで喫茶店に行きました。

事務所までいつも送っていただけて

たいへん助かります。

 

わたくしが

中学1年に結核に罹ったことは

胸部X線写真をとっていただいたこともあってご存知です。

 

過去は消せないという話になったとき

彼から

わたくしのレントゲン写真が例に挙げられました

 

消したい過去

わたくしにあるだろうか。

 

スターリンやヒットラー

毛沢東や金日成であるまいし・・・・・・・・。

わたくしには

当然過去は受け止めるものという答えだけが・・・・・・・・・。