2010年2 月のアーカイブ

人間は自然の中の

一生物に過ぎない存在であること

人間はひとりで生きられない社会的動物であること

人間は本来的に平等であるべき存在であること

権力は集中するよりも

権力が分散し、互いにけん制しあう関係であるほうがのぞましいこと

警察国家という方向に逆戻りするよりも

福祉社会の方向に進まなければならないこと

教育は学習者中心、児童中心にすえようと進んできたこと

人類がその歴史から学んだ確かなもの

人類がその歴史ら知恵として蓄えたものは

揺るぎないものとして継承していかなければと思います。

国母問題

2010.02.18

 

国母問題の反応

当初はわたくしの心配通り

強権的なもので一色。

その後、いろいろな意見が出て

なんとか、思想や表現の自由の

危険水域を脱しました。

いろいろな考えが認められる社会をこれからも担保していきたいものです。

色々な手引書を買って、遺言書を作成したという

仲のよいご夫婦にお会いしました。

手書きで、夫婦で連署し、日付を記入して

自筆の遺言書を作成したから安心だというのです。

 

ご遺族にご夫婦のお気持ちがつたわる

手紙の働きをすることができるかもしれないが・・・・。

遺言書としての効力は全くないとお話したら

あれこれ本を読んだが

そんな注意書きに触れたことはないというのです。

確かに、見せていただいた参考書には

遺言を書く上でのこの大前提とも言うべきことが

書かれていません。

 

夫婦連名の遺言書はご夫婦の共通の意思表示とも

個人の意思表示としてとらえることができないためからでしょうか・・・・・

(ごく例外的に認められる形式があるにはありますが・・・・・・・・)

ご夫婦連署の遺言書は遺言書としての効力は全くありません。

無効です。

アカ攻撃

2010.02.15

 

先日、とある喫茶店でコーヒーを飲んでいたら

「おみゃ、キョウサントウか」という大きな声がしました。

とるに足らないことかもしれませんが

 

偏狭さや偏見にもとづく発言は

インターネットの世界でもよく見かけます。

日常的といってよいでしょう。

偏見に満ちたもの、排他的なもの、

権力におもねるもの・・・・。

司法書士の受験生の掲示板にさえ

その種の書き込みが実に多い。

思想や人種、その他、様々な差別が

世界のどこにもあるのは事実です。

だからこそ、日本から、はじめになくしたいものだと思います。

「どこにでも差別はあるもの。だから、あってよい。」と

肯定する論理を認めてはならないと思うのです。

差別社会を肯定する人のおおくは

差別から利益を受けようとするひとたちです。

探究の学習

2010.02.11

 

ゆとり教育が非難されて

教室に話し合いの声が聞かれず

教室はドリル学習でいっぱいになり

一日中、黙々と作業をするばかりです。

異様さの点で

音を消したPACHINKO屋のホールと

なぜか光景が重なります。

その一見静かな教室から

整然とした秩序が感じられたとしても

そこから何が生まれるのでしょうか。

だから、PACHINKO屋の光景と重ねてしまうのです。

討議する場面も

また、探究する場面もみられません。

先生が話すばかりです。

 

集団で行うからこそ教育に意義があるのではないでしょうか。

 

塾も個別指導と称して未熟な講師でもできる授業形態がさかんです。

生の教室授業も

DVDの授業ももう一緒です。

DVDの授業のほうがおもしろいといいます。

 

デューイの「INQUIRY」などの復活はもうないのでしょうか。

ゆとり教育の理念は間違いなのですか?

 

教室を

笑顔で

活発な話し合いで

溢れさせたいものです。

夢ある未来はそれでしか築けないように思うのですが。

高校入試

2010.02.11

 

元中学教師ですので

高校入試や高卒認定試験について尋ねられます。

また、わたくし自身、中学入試についても、そのはしりを体験しているので

相談もされます。

学校選びは大切です。

中学受験については

どうしてもどこかへ行かなくてはならないものでもありません。

リンクのHPにもありますが、

よい学校はそうそうあるものではないのです。

オーダーメイドの学校はなかなか見つからないものです。

はいることに精一杯で

はいってからのことまで考えないから失敗しやすいのです。

Man is mortal.

人間は死すべきものというのは厳然たる事実です。

わたくしは心筋梗塞や動脈瘤のために血管の置換手術を終えても

まだ腸骨に動脈瘤を抱えています。

起業を志したのも私流の悪あがきかもしれません。

FPの先生によると死の年齢まで計算して人生を生きることといわれますが

そんな計算をわたくしはしていません。

65歳がひとつの目途だ、区切りだと、医者からいわれてはいます。

しかし、それは手術をする目途に過ぎません。

死を明日に迎えるのかもしれないのです。

思わぬ長生きで周りが辟易するかもしれません。

それでもいつかは死ぬのです。

さてと

蚊の生命と生物としての生命の重さは人間のほうが高いといいきれるものでしょうか。

蚊と同じように計算しないで生きようと思います。

新年会

2010.02.11

 

忘年会で集まると

同じメンバーで

不思議に新年会がまた催されます。

恩師の特典で無料のご招待などがあって

なにがしか包んだり

喫茶店の費用を出したりして

心苦しさを解消しています。

いろいろ出席してみて

わたくしもみんなも多くの人の生活が大変です。

何がしかの援助を受けたり

親の財産で食っている者以外は。

努力だけではなんともならない現実がみえてきます。

どなんかしなければいけん

宮崎県だけではありません。

平日に小学生に接するバイトに行きました。

お母さんが大好きな女の子に

「先生なんで勉強するの?」と聞かれました。

わたくしは

「きみがしたいことが思い通り自由にできるようになるためだよ。」と答えました。

応えながら自分でもその答えに納得していました。

そう!

勉強は

人間のあらゆる意味での自由の獲得のために

あるのです。

これから塾などを開くことがあるのなら

今の行政書士事務所も

「リバティ」という名にしてもいいなと

そのとき思いました。

その女の子は「うん。うん。」と素直に笑顔でうなずいて聞いています。

そして、その日のピアノのおけいこの楽しさを話してくれたのです。

確かな少数党

2010.02.11

 

民主VS自民

どうも同種の感じは否めないでしょう。

共産党以外はもともと同根といってよいのですから。

共産党が確かな野党とはいっていますが・・・・・・・・・・・。

確かな少数党こそが民主主義には必要だと思うのです。

少数ではあるが高い見識が民主主義にも求められるのです。

全体主義の危険

民主主義の担保のためには。

何者にも迎合しない、少数党の道を自ら選びませんか。