2009年10 月のアーカイブ

教育の中立性

2009.10.31

 

教育委員会の存在理由は

教育の中立性を担保するためにありました。

いまや、完全に形骸化しています。

また、モノからヒト、こころの社会が盛んにいわれるようになりましたが

いま、推進されている競争原理の教育からは生まれるはずもない結果です。

改めて、政治にも、権力にも屈することのない

普遍的な教育を理想として追求できる制度的な仕組みを

もう一度求めていきたいものです。

それにしても、

今年度、教員採用試験に合格した方々とお会いしましたが

みな一様に出世意欲満々でした。本当に、がっかりしました。

そして、学校の世界から足を洗ってよかったと改めて思いました。

子どもも授業も嫌いで

早くそこから抜け出し

出世しようとあくせくする先生を

よい先生として再生産していくシステムは

どうもこれからも変わりそうもありません。

楽して、しかもえらくなり、お金もたくさんもらうなんて考えは

教育者の対極にあるものです。

政治と教育も

教育が政治に従属するものではない点で

教育者と政治家は本来対立するものです。

憲法9条論議と同様、もはや節操を失ってしまっています。

組合出身、校長、教育長、市長が今も当たり前ですが

自社政権同様、従属関係が見えてきます。

だれもが知っていることですが、

まじめに働く人にとっては忌々しきことです。

教員採用試験をゼロからはじめて3年で合格し、夢を実現した人を知っています。

40歳を間近に迎え、教員免許の取得から非常勤講師を経て、文字通りゼロからです。

わたくしにとっても大いに学んだ3年間でした。

学生時代から

どちらかというとふつうではない同士が出会い

教える教えられる関係をつくってきました。

彼らは

みなその夢を叶えました。

これから出会う人もそうあってほしいのですが

その夢が実現できたのはすべてその人自身の努力によるものです。

いま、わたくしは、ほぼ独学で勉強していますが

彼らから学んだことを実践しようとしているのです。

飛蚊症をふっとばして

がんばろうとしています。

家出人探し

2009.10.26

 

家出人探しにつきあうことがあります。

入院など予定があるときは心が焦りますが

2、3日でたいてい終了します。

なんでそんな奇特なことをするのかというと

家族や学校、社会から排斥された

彼や彼女が

たまらなくかわいそうに思うからです。

親は持ち出した金を心配していて

本人自身のことを心配していないといったことが

多いのです。

わたくし自身も

一時だまされることも多いのですが

余りにわたくしが貧しい家計で生活をしているのを知って

親はともかく、本人はとりあえず反省してくれます。

昼はパチンコ屋を、夜半は風俗街などを徘徊したりするので

うわさが立ちます。

確かめられると、元気よく

「はい。」

と応えて

おしまいにしています。

行政書士試験の合格点は、

他の資格試験の多くが70%以上の合格点を要求するのに比べれば決して高いものではありません。

大学入試や資格試験でも60%を超えれば、合格できる試験はそうそうあるものではありません。

かなり間違いをすることができるのです。

逆に言えば、確実な分野を積み上げれば合格できる試験なのです。

今からでも追い込みが効く試験です。

あいまいにしてきたものを

クリアにする努力を最後の最後までしてください。

当日だってチャンスのある試験です。

ワイナーの原因帰属論というのがあります。

失敗の原因を

運やその人の知能といった

その人自身では

なかなか変えられないものにするよりも

努力といった

その人自身の意志で変えられるものに

求めるべきだというのです。

わたくしはそれを信じて

心筋梗塞と大動脈瘤を抱え

しかも飛蚊症に悩みながら

今日もがんばるのです。

主治医の先生の

「心臓がかすかに今日も動いていますよ」という言葉を

笑いながら励ましと聞いて

明日に夢を持つのです。

試験の問題は人がつくったものです。

教員採用試験などでは

問題作成者の未熟さを感じるだけのことがありますが、

資格試験の問題にはさすがと感心するものがあります。

また、本モノの伝統校ではレベルの高い

先生の深い見識や指導の哲学を感じさせる

その学校のよい文化をうかがわせる

魅力ある問題が出されます。

問題作成者の意図が読み取れる受験者になれば

それこそプロです。玄人です。

何年か合格できないでそうなってしまうのは

ろくでもないかとですが。

各種試験ももう少しで終わりです。

がんばってください。

わたくしも志を立てて3年

どうなるでしょう。

弱い者いじめ

2009.10.25

 

動物の世界に絶対ないのは強いものいじめです。

わたくしが相談されることの多くが弱い者いじめのことです。

学校に入ってから繰り返しされています。社会の鏡をそこにみるようです。

路上生活者の子ども、住民票がありながら不明な子ども、

そんな話はもう5年も前から当たり前にありました。

格差社会をよしとする人は搾取したものを

しっかり外国の銀行に預けて

また、搾取する仕組みをしっかり日本に残して

日本から逃亡していきはじめています。

そして、貧困者だけが自分の社会を権利でさえもてず

自分たちが主人公である社会を築くことをゆるされず

貧困ビジネスの対象として日本にとどまらずに得ない社会になるようです。

富裕な華僑に似た日僑がもう既に生まれているのをご存知ですか。

一部の日本人が日本を植民地化する仕組みがどんどんできあがっているのです。

それは資本主義をよしとすれば当然のことです。

問題はそれを修正するか、修正しないかです。

制度が変われば

2009.10.24

 

テレビをつけると

過払い請求のCMばかり。 

前にも触れましたが、困窮者をビジネスにしています。

20%なにがしを超える利率の部分を

20%以上の報酬を取って

過払いとして払い戻し請求をするわけです。

日本の資産家のランキングをみて

美しい日本とか

誇りある日本とか

友愛社会とかいう政治家の言葉が

いかにうつろなものかと感じます。

制度がちょっと変われば

士業の業界は

いろいろと

なかなかのものです。

「神は、人間が考えるなかで、物事の説明がつけられなくなって、また説明をつけるためにつくられたもので、実在しない。神は観念の創造物だ。」というコメントに対して

「信じる者は救われるという言葉はうそなのですか?」と質問されました。

「自分を信じる者は救われる。自分の努力を信じ、努力を怠らない人は救われます。人同士が信じ合える社会で、他人を裏切らない者は救われるということができるでしょう。自分を信じ、他人を信じる者は救われるということなのです、」と答えました。

しかし、それは他人同士が信じ合うことができる社会が現実に存在することがすべての前提です。

それは人間のあるべき社会の姿なのですがいちばん難しい課題です。

であるからこそ、人間は神を観念するのです。

人間って、因業なものです。

ボス猿も親猿も命を張って守ります。

それに対して、人間はどうでしょう。

余り、誇れるものではありません。

夜と霧

2009.10.23

 

中学生のとき、

アウシュビッツの収容所生活の自己の体験を描いた

フランクルの著作「夜と霧」を手にしていたら、

国語の教師から、

収容所を全裸で疾走する女性の写真が挿入されていたので、

エロ本と間違われて取り上げられたことがあります。

今西錦司の「生物社会の論理」とならんで、

わたくしには哲学や心理学に興味をもつきっかけとなった

わたくしにとって大切な本です。

それから、立身出世と知性とはなんの関係のないものであることを何度も体験しました。