プロフィール

 GIVE UP

2016.10.10

 

昨日、病み上がりながら、折角のご招待だからと、失くすのではのではという強迫観念に捉われてか、補水液のペットボトルと寸志袋を後生大事に携えての、同窓会の出席に続いて、今日は、受験票と宅建主任者証に、補水液のペットボトルを携えて、TACの司法書士講座の奨学生試験を受けました。

3時間余りも椅子に座るうえに、そのうち2時間の頭脳を集中させることには、堪えられませんでした。集中力が途切れ、問題文が読めません。

70歳まで待ったことが悔やまれてなりません。妻の言う通りだ、もう自分には無理だ、と実感しました。一方では、ここまではやれるという自信が生まれはしたのです。

熱中症

2016.08.20

 

大動脈解離で退院してから半年にもなりますが、なかなか体力が回復しません。

担当医の先生が奇跡的な回復だとおっしゃっていましたが、本当かもしれません。

熱中症の危険ばかりで、何事にも集中することができません。

何かに集中できるという意味での「熱中症」に罹りたいものです。

お誘いに対して

2012.10.15

 

FACEBOOKをはじめ

いろいろお誘いをおうけしますが

それにお応えできる十分な環境が

身近には当分はありそうもありません。

Cメールでやりとりさせていただきたいと思いいます。

携帯電話番号は 090-6339-3005 です。

6月2日

シンガポール日本人学校OBOG会に参加させていただきました。

来年で十回目、十年にもなるというのです。

日本シンガーポール協会の主催という強力な支援があって続いています。

ありがたいことです。

会の様子はHPにアップされています。

日本シンガポール協会で検索し、シンガポール日本人学校のメニューで見られます。

担当学年の二次会にも参加させていただきました。

幹事のかたがたご苦労様でした。

大きく成長した

なつかしい顔に出会うことができました。

9・8の中日投稿

2012.07.19

 

新聞に投稿したんだって

どんなの?

まだ訊かれます。

それで

投稿した

全文を掲載します。

復興のために今行動しよう

中島伸一 行政書士 64

東日本大震災を目の当たりにして、いても立ってもいられない思いをされた方は多いと思います。

私も、その思いを家族に告げたところ、妻や子ども、それに姉たちからも、病の身では足手まといになるだけだと押しとどめられ、あらためてふがいない自分を知ることになりました。

あの日からもう六カ月、復興どころか、復旧さえ進んでいません。私は自己の利害だけにとらわれず、未来に生き、未来を築こうとする子どもたちに、また現在を築いた父母や先人に恥じない決断と行動をしたいと思います。

今ある問題を解決できるのは、私たちしかいません。今を生きる者の責任だと痛感しています。復旧、復興の遅れを政治の責任に帰し、非難するだけでは、問題は何一つ解決しません。今、しなければならないこと、私にできることは何かを問いかける毎日です。

(平成23年9月8日 中日新聞 朝刊)

CT検査

2012.05.15

 

まだひとつ切り時の動脈瘤が右腎にあって

毎年5月CT検査を受けています。

今年もあまり大きさに変化がないということで

どうされますかと訊かれ

来年までまた様子を見ることにしました。

破裂しないことを祈るのみですが

破裂しないことがよいことかどうか。

わたくしは

手術を何回かしているのですが

アルコールの消毒綿が使えません。

そのせいか

アルコールが

少しでも入っていると

飲んでも食べても

過剰に反応してしまいます。

入院騒ぎもありました。

いろんな人と出会うようになって

わたくしだけでなく

いろんなひとがいることをを知り

それをむしろ面白く思うようになりました。

教育の世界や

社会が本当に変わるには

こんなことからかもかなと思います。

おめでとう

2010.08.31

 

懸案の事項の終了報告とお礼を

直接、あるいは電話などを通して聞くことがあります。

事件の内容に応じて

「おめでとう」とか

「ご苦労さまでした」とか言葉を選ぶことになります。

先日、新しい出発なのだから

「おめでとう」と言ってくださいと

相手から請求されました。

瞬時なるほどと思ったのですが

複雑な思いに浸ってしまいました。

4月30日付で

日本行政書士連合会の

事務所移転の登録を

いたしました。

新事務所は

郵便番号491-0201

一宮市奥町字六西風田11番地

TEL&FAX0586-58-3067

です。

心機一転

がんばります。

今後ともよろしくお願いします。

山村暮鳥の詩に

「いちめんなのはな」というのがあります。

この詩をイメージする光景なんでしょう。

手術のたびに夢に見るようになりました。

わたくしは

なのはな畑を走り回っています。

そして、そこにいつも同じ少女がいるのです。

少女はだれでしょう。

胸を熱くするのです。

八時間も続いた血管手術のときも

いちめんなのはなの畑を

あの少女と一緒に楽しく戯れていたのです。

そして少女の小さな手のぬくもりは

いまもわたくしの手にずっと記憶されているのです。